青谷から加茂を歩く  2015年11月3日

♣ 独 行“山城の式内社巡り13回目” ♣

いよいよ南山城の未訪式内社も残り少なくなってきた。が、所在地が飛び飛びなため組み合わせが難しい。岸辺から片道千円仕事のため効率化を図らねばならん、のだ。今日は天候特異日の文化の日。Y子さん宣わく“京都駅から奈良線に乗る人多いよ”、“大和路快速も混むと思う”。ならバ学研都市線に乗るしかないではないか。これで3回連続だ。

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岸辺=大阪=京橋(快速)=木津=山城多賀→高神社→粟神社→山城多賀=木津=加茂→岡田鴨神社→勝手神社・春日神社→加茂(大和路快速)=大阪=岸辺

11:04 山城多賀駅頭に降り立つ。無人駅だ。

一路“道なり”に真っ直ぐ東を目指す。鈴なりの柿が青空に映える。

家並みの中を800mほど歩いて立派な橋を渡るとそこが今日の第@ターゲット・高(たか)神社。100有余の石段を上がる。

境内の絵馬堂には還暦・㐂寿参拝の写真と米寿記念の手形絵馬がずらり。地域に氏神さん意識が根付いている様がありあり。

戻って奈良街道を北上。風情あるなまこ壁の街並みにサルビアレウカンタひときわ鮮やか。

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700mがとこ歩くと思いきり坂をあがったところに青谷川。橋の向こうに「城陽市」の看板。ここも天井川。200m余下流をJR線路が潜っている。

途中、山背古道の標識を見つつ川沿いに1km余遡行すると本日の第Aターゲット・粟(あわ)神社。“寂莫感”そのもの。

境内に句碑♪散りつくし梅の生活の始まれる 一泉♪? “散りつくし”の下の字が読めない。

戻ってきて青谷橋畔から南望。ゼブラゾーン辺りへの標高差10mはあろうか。

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山城多賀駅ホームから青谷川を潜るトンネルを写したら、ちょうど奈良行き快速電車が出てきた。次の各停に乗る。12:39。

そして滅多にしないことなのだが、電車で二つ目のポイントに移動。・・・山城多賀駅で“京都に行きたいのにこっちのホームに降りてしもた。どないしよう。腰痛いしナァ”と独り言ちていたおにいさん、奈良行きの電車に乗ってしもて、あとどないしたんやろか。それはともかく加茂駅は久しぶり(13:04)。雲が多くなってヒンヤリ。

北上して木津川の堤防道に上がる。七五三の赤幟はすべてこれから向かう神社のもの。

駅から1.4km。今日の第Bターゲット・岡田鴨(おかだかも)神社到着。木津川市加茂町北鴨村ってポツンと離れた集落の中にあって大切に守られていることが仄見えた。

引き返して堤防道に戻り、延々2.5km。途中恭仁(くに)大橋袂を横断。

ようやく青空が恭仁宮址の上に戻ってきた。

今日の最終ターゲット・勝手(かって)神社到着。何度登っても石段はキツイ。

奇妙なトタン屋根は本殿の覆い(仮か常設かは不明)。左に春日神社を併祠する。

境内から木津川上流を望む。この勝手神社鎮座地は木津川が大野山にぶつかる“攻撃斜面”である。こういう場所にお社を祀ったその昔の人の心を想う。因みに河床面からの標高差約50m。

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「残念石」の表示が見える。すぐ近くに「徳川幕府が元和6年(1620)以降に大阪城を改修した際の残石」があるのだそうな。(→

石部川・木津川合流点の堰新設工事地点を越え坂を下ると加茂駅がほぼ真正面。約1km。(左にカーブしてゆくのが堤防道)

寄り道もせず15時前加茂駅帰着。いつものデンでルヒシメ抜きで大和路快速の人となり家路に就く。

今日の総歩数 16,332 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら 【青谷】 【加茂】