比叡山頂、そして雲母きらら  2015年9月19日

♣ AZハイキング第169回例会 “比叡山頂散策”+α ♣

前日K大人が突然ご不調で乃公に臨時代行ご下命がある。パニクりかけたが聞けばメンバーは全5人だと(当日もうお一人増えて6人になった)いうことで、ま、のんびりゆこうかと肚を括る。顔ぶれからして山頂散策だけでは、と予感し、その話が出、最終は元のさやに納まっていたというお粗末な話でありんした。本番としての今日の前半はAZホームページに書いたので、本稿は後半を主にすることにする。でもシビアだったことの表れか写真の絶対数が少ない。

比叡山頂バス停(815m)から北望。遠く高いのは比良・蓬莱山(1,174m)。その左手前の鋭鋒は水井山(794m)。水井山ピークの後方で蓬莱山から落ち込んでいるあたりが朽木渓谷。水井山の右斜面に延暦寺横川よかわ中堂がある。ここは先日訪れた。

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まず大比叡ピークの三角点に敬意を表する。この直前戻ってきたグループが「大比叡」頂上は?と聞くので教えたら三角点標石は見たという。ピークを踏んでいるのに認識していないのだ。唖然。

ガーデンミュージアム入園(前回は2010年)。印象派の絵が陶板複製であちこちに。

モネの「睡蓮」を模した池。当園の目玉の一つだろう。ただ睡蓮が盛りを過ぎているのと日の高い時刻とで写真には辛いシチュエーション。

大輪のコスモスも白いと飛んでしまう。バックは右・比叡平、左遠く大津市街。

弁当組とレストラン目当て組が半々だったので交渉してもらった結果、持ち込み可。但し「何か注文して・・」ということで全員カフェドパリで暫しのランチタイム。

展望台をバックに撮ってみたが色が出ない。

テーマの絵の小道具が揃っているのだが、、、。モデルのせいではなかろう。

ということで予定時刻近くになる。15時過ぎに市内に戻れる予定からその後に予定を入れた人、今日はハイキングの日だからと空けた人、それぞれの意向を尊重してバス停前で解散とする。

バスを見送った乃公を含む3人は“もうちょっと歩こう”と下の道(ケーブル比叡駅⇔根本中道)を目指す。山頂バス停からロープウェイ駅方向へ300m、そこからジグザグ道を下る。

四明岳北斜面のジグザグ道を下り、上記「下の道」に下り着いたところが大原集落を見下ろすポイント。ここは標高770m。14:10。

参詣道だからだろう。石仏や五輪塔などが並ぶ。向こうが延暦寺方向、われわれは反対方向のケーブル駅へ向かう。

ケーブル比叡駅前(690m)到着。当初はここからケーブルで下山予定だったが「折角だから雲母(きらら)坂を歩いて下りてみよう」と急に話が変わる。14:37。

上がってきた女性二人連れに確認して歩き出したが、この立札まで指示標がなかった。あとは一本道。

しばらくこのような石段ならぬ“木段”が続く。

「千種忠顕卿戦死之地」碑への分岐(615m)。14:51。

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このお地蔵さんの前あたりで外人留学生グループとすれ違った。後ろに「浄刹結界趾」の石標。

「水飲対陣之跡」碑。南北朝の忠臣と謳われた千種忠顕がこの地で足利の大軍相手に討死したと太平記は伝える。

水飲対陣之跡(380m)にて。15:34。このあとの悪戦苦闘の詳細は思い出したくない。

修学院の林道に降り立つ。ここで標高155m。16:18。ケーブル駅からの下山に都合100分余要した計算。後に雲母寺跡の碑があったが撮る余裕すらなかった。噫!

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「親鸞聖人御旧跡きらら坂」碑

音羽川の堰堤下の橋は「きららはし」

HMさんの肝煎りで3人の打上は「おめん銀閣寺本店」。お疲れ様。

それにしても雲母坂の下り、特に麓近くの四分の一は乃公にとって想像を絶するものであった。これを一人でスイスイと?登ってスイスイと坂本へ下りた1985年のイメージ残像。登りが出来たのだから下りは齢こそ30年とっていても何ほどのことやあらん。それが甘い考えだったことをイヤというほど思い知らされた一日だった。大比叡ピークと修学院駅の標高差770m。

今日の総歩数 不明    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら