富田林は快晴、一時吹雪  2013年1月25日

♣ 独 行“式内社巡り・富田林編” ♣

河内のお社巡りも柏原市内をクリアしたらほぼ完了・・・と思っていたら大間違いだった。富田林周辺がしっかり残っているではないか。散らばっていて、一部を割愛してもそこそこ歩きでがある。咸古神社から佐備神社から鴨習太神社から壹須何神社から美具久留御魂神社で都合11.5km。Y子さんから「なんでこんな寒い日に」と不思議がられたが、そう、今日しかないンだよなァ。

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金剛バス東條線竜泉バス停。富田林駅からバス停11目・約6.5km。

歩き出すとすぐこの碑「此山頂龍泉城址」。この坂を登ってゆく。 onmouse-up 又の名を嶽山城。楠正成が作ったが落城の悲運に。

僅々標高差70mばかりだが息を切らして辿り付いたのが庭園で有名な(知らなかった)龍泉寺。左は山門、右は本堂。牛頭山龍泉寺医王院(ごづさんりうせんじゐわういん) 龍泉寺村にあり。古義、真言宗。(後略/河内名所圖會)

そしてこちらが今日の最初のターゲット・咸古神社(式内社:以下神社の細目はこちら参照) 前記の「牛頭山」は当社の明治以前の祭神が牛頭天王だったからだろう。神仏混淆の最たるもの。

境内を出て嶽山の東側を北進する。途中かんぽの宿などがあって、ふと東を見れば葛城山(左)金剛山(右)がくっきり。手前はオレンジ園。

山道の真北にPLの塔が見えてくる。良くも悪くも(!)この近在のランドマーク。

路面はややゆる目だが快適な山道。全く誰も通らない。この3kmが本日のルート中ピカ一。

佐備の集落へ降り着く。落ち着いた様がたまらない。左の家などまるでお城だ。

そして二つ目・佐備神社。集落中央の小高い丘は鬱蒼たる社叢で遠目にもそれとわかる。

佐備から東へひと山越えると目の前に金剛山が一際大きくなる。頂上付近はうっすらと雪化粧。

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309号線を越えて坂を登りきると目の前500mの直線車道。ややあって右に見えてきたのが鴨習太の杜。
onmouse-up ---------- 遠く葛城山。

三つ目・鴨習太神社。素朴な、あまりに素朴な。。。

それからは一路北へ直進また直進。途中雪雲に蔽われ一時吹雪状態。途中すれ違ったご婦人と「寒いですね」を言い交わす。止んできた頃、漸く右側に見えてきた台地が、かねて噂に聞く大ヶ塚。ここまで延々3km許り。

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33号線が台地にぶつかった地点の交差点。左上へ上がってゆく道が見える。 onmouse-標識up

坂道を上がりきった四つ辻に立つ碑に「右 國寶大佛道 九丁」云々とあった。確かにここを右に行くと大念寺という名刹があるが200m位だ。別の所なのかな?

大ヶ塚御坊と通称される顕證寺本堂。ここ大ヶ塚は当寺を中心に発達した寺内町。町割りは見通しを利かなくした「あて曲げの道」が残る。しかしかつての仲間・HMさんの生家を探そうとしたが大ヶ塚は狭いようで広い(笑)。果たせなかったが、無理に探さなくてよかった。後日、残念ながらお家は現存しない旨本人から伺った。

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顕證寺鐘楼門。大ヶ塚はその名前の通り大きい塚(古墳)状の台地のため、周辺の在所への道はすべて坂。

そして今日のターゲット四つ目・壹須何神社。onmouse-up 左は結構急な下り道。

壹須何神社拝殿前で記念写真。以前はよくセルフ自画像を撮っていたが絶えて久しい。因みにこの社地は南北朝時代の北(大ヶ塚)城の跡だという。

お社の右の道路を下って27号線に出たところ。振り返るとここも結構な坂である。

さあ喜志へ。振り返ると今まで団子になって一つにしか見えなかった二上山が、本来の姿を見せてくれている。

強風の中、帽子を何遍も飛ばされながら畠道を縫って喜志大橋へ。石川の河川敷にあるのは枯山水庭園の石組みか。まさか。

更に近鉄線を越え、途中RR亭でラーメンの遅昼。店に入ったとき温度差に暫し心臓バクバク。人心地ついたところで今日最後・五つ目の美具久留御魂神社。

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当社は喜志駅西の山の中腹に坐し、疲れた足には石段が辛かった。背後の山には古墳群があり、ご神体山で禁足地と聞く。

無事に歩き通せてホッ。参道を喜志駅に戻る途中、真ッ正面に二上山を望む。そう、このお社も二上山雄岳も北緯34度31分。まともに向き合っているのだ。onmouse-up

今日の総歩数 25,952歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら