信貴山麓を再び歩く  2013年1月10日

♣ 独 行“式内社巡り河内編いくつか目+1” ♣

旧蝋11日に河内国分から恩智まで式内社巡りを試みたことは紀行文に詳記したが、如何せんマップ不携帯で落穂が仰山出た。今日はそれらを拾い集めるべく準備万端相整えて出発した・・・・・・筈だったが、その辺のいろいろはブログに譲って、まずは恩智駅からいざ、出発。 式内社の詳細はこちら

恩智神社の参道を辿るとすぐ出会うのがここ、恩智神社頓宮(御旅所)。ここは石鏃など石器時代の遺物が発掘された場所でもあり、公園になっている。

楠正成八臣の一人・恩智左近の墓。南北朝時代の在地豪族で恩智城を築いた(次の写真)。この墓は城跡のすぐ西側にある。

高安山麓の微高地に位置する恩智城址公園(碑には恩地城趾とある)。城は建武年間に作られたが正成の戦死で廃城。明治には小学校が建てられたこともあったが、今は堀も埋められて公園となっている。西側は急な階段で、公園入口にはレンガ造りのもと小学校の門柱が健在だった。ちなみにここは二の丸跡だという。

それはともかく若倭姫神社が見つからないでウロウロする。ここは神宮寺小太郎之塚。この人も正成八臣の一人。

お寺の屋根が見えるので近付くと、やっぱり二つの寺(右・山井寺、左石段の上・瑠璃光寺)だけ。僥倖を狙って石段を上がって、右奥に若倭姫神社の標石を見たときはホッとした。(ここ)

大阪相撲の名跡“高田川”音吉の碑。詳しいことはわかりません。

瑠璃光寺門前に置かれた如来形坐像(中央)と菩薩形立像(左右)。ともに古墳の石棺の蓋の転用という。

下校途中の小学生。乃公を恐れ多くも“カメラマン”と呼んでくれた(?マーク付きで)。そんな大層なもんじゃ・・・

大日禅寺。二宮神社の北に位置し、さびれた雰囲気を漂わせていたが、大屋根の鴟尾?が見事なもの。

二宮神社。写真はボケるし、ここが宿奈川田神社の論社という説は根拠が薄いというし、拝殿前に妙な提灯吊り金具があるし、幻滅。

Sample

JRと近鉄が交差するこのあたりは道がややこしい。ここ天湯川田神社に入ったときはホッとした。大和川が北に流れを変える地点・比高差50mほどの小山上にある

白坂神社。桃と柿本人麻呂の歌で知られているというが、ここがどうやら宿奈川田神社の古社地らしい。 onmouse-up

国豊橋を渡って河内国分駅。遅昼後もう一つ付け足そうかと考えていたが、腹がくちくなると意気地無くもその気は雲散霧消(笑)。又の機会にしよう。

今日の総歩数 不明(約8km)    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら