閑谷しずたに学校からレ・マーニへ  2012年9月16日

♣ 水曜会有志閑谷へ “閑谷学校からレ・マーニへ” ♣

リタイア後東京から故郷吉備路に居を移した水曜会非常勤(笑)団員中川健一さん。悠々自適なのだろうが何々、歌への思い入れは人一倍で意気や益々盛ん。何かあるごとに水曜会へお声が掛かる。一昨年3月佐伯WS、そしてコール・レマーニなる混声合唱団を組織して今年6月、さらに今日。応援団も忙しい。

国宝・旧閑谷学校講堂。特別史跡・旧閑谷学校の中心。旧岡山藩直営の庶民教育のための学校。寛文10年(1670)岡山藩主池田光政によって作られたと伝える。炎天下訪れる人も少なく、隣接するわれらがお披露目会場・「岡山県青少年教育センター閑谷学校」周辺の賑わいとは好対照。実は行くまでこの中で歌うのだとばかり思っていた。“閑谷学校”違い、だった。

←これが「岡山県青少年教育センター閑谷学校」正面。この中のホールで歌った。催事名は『おかやま米粉麺フェスタ 2012 in 備前』。
(この写真は閑谷学校さんのサイトから拝借。感謝。)

まず水曜会有志のダブルカルテットで「赤とんぼ」と「里の秋」。いまだに楽譜を持つと見てしまう。悲しきさがかな。憶えているのに。

そして中川さん指揮のコール・レマーニに加わって「ふるさとの四季」。アルトは2人でよく歌われました。お見事。

椿山。この奥に藩主池田光政の遺髪を納めた塚がある。(以下閑谷学校内風景)

30度。時まさに13時50分。気温はともかく無風快晴では皮膚にジリジリとくる。

校門(重要文化財)。

学校敷地を囲繞する石塀(重要文化財)。分厚く、総延長七百メートル余。

終了後♪お茶でも♪ということで三石耐火煉瓦経営という「レンガ広場」へ。

「レンガ広場」入口門。まるで中世ヨーロッパの古城。(以下レンガ広場=敷地約4,000坪=内)

池塘の向こうには可愛いチャペル。

レストラン レ・マーニ。結構流行っていて吃驚。暑かったので冷たいものを、そう、「何とか青リンゴ・リンゴ」というのを頂きました。おいしかった。(実はイタリアンのお店)

音楽ホール。6月に有志が来たときはここでの某ソプラノ歌手のコンサートに賛助出演したレマーニさんの応援だったと聞いた。

ホールには岡山以東姫路までの間此処しかないだろうと噂のスタインウェイのグランドピアノが鎮座。それを囲んでしばしハモり三昧。いい響き!

百人入れば満杯かというホールはレマーニさんの練習場所だそうな。いつの間にかメンバー数人が我々のハモりと時間を共にして下さっていた。

吉永駅14:56という列車があると聞き時間を合わせて向かったら目の前を通過。確認すると14:47相生行きに乗らねばいけなかったのに僅々数分で置いてけぼり。14:56は反対方向の三原行きで、時刻表の見間違えだった。ということで1時間後の15:46まで待って帰途についた。相生では1分の待ち合わせで草津行き新快速に接続。Lucky。
 中身の濃い半日を有難う。中川さんはじめコール・レマーニの皆さんに深謝。
(中川さんは2017年11月不帰の客となられた。謹悼)

今日は全部クルマでした    ̄|△| ̄   マップはこちら