“我々は後期齢者”−その2−  2012年5月24日

♣ Glee34会 “瀬戸内海岸を巡る旅2” ♣

        

2日目は尾道。個人的には千光寺壁面の古いポスターの記憶しかない。同志社マンドリンクラブのホームページと連絡を取って、あの「東北震災義捐金募集の為の音楽会」を調べたことを思い出す。(ポスター撮影はYE兄。1958/3)
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東北震災義捐金(募集?) 同志社音楽の夕
 同志社大学教授シャイヴリー先生
 同志社大学プリムローズクラブ
 同志社大学マンドリンクラブ
 4月18日 午後7時 於尾道久保小学校講堂
 主催 婦人矯風會尾道(支部?)
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この震災は、昭和8年3月3日昭和三陸地震(M8.1)だろうというのが当時の結論だった。ただ、壁面漆喰の塗り直しでポスターは全てなくなってしまっていた。

ホテルでOY兄、福山駅でOT兄、所用で早帰りする二人と別れ、尾道へ向かう。生憎の小雨だったが、見通しはさほど悪くなく、雨脚もひどくはならず、落着いて文学散歩を楽しむことができた。

尾道駅からタクシーに分乗して千光寺公園駐車場まで上がる。そこからいろんな文学碑を見ながら千光寺へ。写真はピークにある展望レストラン。

徳富蘇峰の漢詩碑。♪海色山光信美哉/更懐頼子出群才/淋離大筆精忠気/振起維新偉業来♪

正岡子規の句碑♪のどかさや 小山つゝきに塔二つ♪

志賀直哉「暗夜行路」の一節♪六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。♪(後略)

林芙美子「放浪記」の一節♪海が見えた/海が見える/五年振りに見る尾道の海はなつかしい♪(後略)

千光寺境内に入る。巨岩累々。鐘楼脇から遠く西瀬戸自動車道の尾道大橋を望む。

千光寺本堂。

本堂下の芭蕉句碑♪うきわれを 寂しがらせよ 閑古鳥♪

千光寺のすぐ下にある、アララギ派の歌人・中村憲吉終焉の家。

Sample

おもわず「千光寺の塔」とカン違いしてしまった。実はJR線近くにある天寧寺の三重塔。onmouse-upは半世紀前の演奏会場・久保小学校。塔の右肩上の山際にある。

文学記念室。国の有形文化財である旧福井家住宅で、林芙美子はじめ尾道出身の文学者・作家の資料が展示されている。20分?の説明には熱がこもっていた。

よくTVにも紹介される「尾道の坂道」。足腰の弱い人は大変だろうな。

志賀直哉旧居・文学公園。そろそろしんどくなってきて、靴を脱がなかった5人(撮影者を入れて6人)。

駅近くの食堂で美味しい海の幸を賞味し、午後は倉敷へ。

♪鳩が飛び立つ公園♪ ではなく大原美術館を久しぶりに訪う。

2日間にわたる旅行は高森兄の行き届いた準備と現地手配で楽しく打ち上げることができた。特記して深謝である。また昨夕宴のあと、同席の“昔のお嬢さんがた”の所望に応えていくつかの歌を披露できた。アルコールの入った夜間ということでそれなりの歌しかできなかったが、後期齢者”が見も知らぬ方々にささやかな薫風を贈ることができたとすれば、もって瞑すべし、だ。皆さんお疲れ様。会計役のST兄もご苦労様でした。

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