河内・若江に坐すお社  2011年11月21日

♣ 独 行“式部御野縣主神社から石田神社” ♣


式部御野縣主神社】まあ迷いました。河内山本駅から東北へ約600mと見当をつけたのだが、見つけるまでに間違って別のお社に飛び込むこと2回。しかも見つけた後ぐるりと回ってでないと入れない非常にややこしい場所にある。参道はあるが鳥居はない。西面する拝殿・本殿は一体化しているようで、このお社の置かれている立場がモロに出ていた。


式部御野縣主しきぶみのあがたぬし神社(通称・式部之宮)。式内社・御野縣主神社の論社といわれてきたが、村が分裂した時に分霊を勧請したものらしい。右写真は参道から社殿(右側)を望む。左は公園。


河内郡・御野縣主神社御野縣主みのあがたぬし神社正面鳥居。東面する。社叢は素晴らしい。かつてこの地一帯を支配していた豪族・美努連みぬのむらじの祖神を祀る。前述式部之宮の北西約500mに鎮座。境内西側に玉櫛川(旧大和川)の堤防跡が残る。 御野県主(みのあがたぬしの)神社 鍫靭。〔延喜式〕出。上ノ嶌御野郷辻にあり。今、天日ノ社と称す。式には若江郡の郡下に入。(河内名所圖會)」


拝殿


本殿


若江郡・加津良神社】さらに北西へ約1km。路線バスの走る狭い道路(河内街道)沿いに西面してこの加津良かつら神社が鎮座する。鳥居から拝殿まで僅々数m。古代氏族・縵連かつらのむらじが祖神を祀ったものと伝える。 加津良(かつら)神社 萱振村にあり。〔延喜式〕出。(中略)今、牛頭天王と称す。此所の生土神とす。祭事の時は、生土の輩、神前にて松明を振りて神をいさむるなり。故に萱振の名あり。又、地蔵院の本尊は阿陀陀の画像、恵心の筆也。毘沙門堂、其外、伽藍の旧跡あり。(河内名所圖會)」


本殿


神社裏玉垣の外に鎮守の杜のものとおぼしい木々が残る。正面も河内街道を挟んで向かい側に小公園があり、旧社地は大きかったことを偲ばせる。


若江郡・若江鏡神社】更に北へ約1km、河内街道沿いに東面して鎮座する若江鏡わかえかがみ神社。若江鏡(わかえかゞみ)神社 若江村にあり。〔延喜式〕出。(中略)上若江、下若江両村の生土神也。例祭、八月十一日。(後略)(河内名所圖會)」


拝殿。七五三に用いられたか、茅の輪が残る。


本殿


社殿のうしろ、社叢のなかにある鏡塚の祠。神功皇后が三韓より凱旋のとき鏡を埋めた墳と伝える。


若江郡・石田神社】河内街道が近鉄奈良線を越えてすぐ、西方300m程に鳥居が望める。石田いわた神社である。左手の燈籠に八幡宮とあるように長らく八幡社として斎き守られてきた。石田(いはた)神社三座 石田村にあり。〔延喜式〕出。今、八幡と称す。此地の生土神とす。(後略)(河内名所圖會)」


拝殿


本殿