矢作神社から許麻神社へ  2011年11月4日

♣ 独 行 ♣

河内の式内社めぐり。八尾市内はややこしくて行きつ戻りつである。電車の線路からどっち側、という風に歩いているが、長瀬川、つまり旧大和川を挟んで江戸時代の「郡」が異なることから、そういう自然地形などで区分けするのも一法かな、と。今頃そんなことを考えている。

JR八尾駅北の流路。デジャヴュがあるので調べたら、9月に歩いた志紀駅北(→ここ)長瀬川流路の下流。結構な水流が勢いよく流れていた。
 この1km下流で顕証寺の久宝寺側と大信寺の八尾側を分けているのがこの川・旧大和川なのだ。

昨今カンが鈍ったか迷うことが多くなった(涙)。ここ矢作やはぎ神社も東行し過ぎて北から回り込んだ。1km以上ロスしただろう。・・・境内は大楠のお蔭で雰囲気あり。

同社境内に点在する“弁慶の七ツ石”の一つ。旧社殿の基礎石というが、七つ全部は確認できなかった。

阪合さかあい神社近傍に咲く花。カタバミの一種・オキザリス・バリアビリスか。

阪合神社はネット上では旧社殿が見られるがここは新しい。ただ他社にあった“生気”が見られない。

“跡地”がこんな広い公園になっているのがいいねエ。長柄ながら神社跡の碑。

和菓子店・桃林堂板倉家住宅。18世紀前半頃に建てられたという。国の登録有形文化財。端正な佇まいに感銘。

戦国時代に存在したと伝わる八尾城跡の碑。八尾神社境内にある。(候補地がもう一ヵ所あると聞いた)

帰ってから河内名所圖會を拡げたら、若江郡の項にあったのが、 八尾御堂大信寺(やおみだうだいしんじ) 八尾寺内にあり。浄土真宗門流。八尾御堂と賞す。京師、東本願寺御門跡連枝、代々寺職し給ふ。(後略) そう、顕証寺への道すがら見かけたのだが、本堂が鉄筋コンクリ造りのためパスした。

近松山顕証寺(こんしょうさんけんしょうじ) 久宝寺村にあり。浄土真宗門徒、久宝寺御坊と賞ず。京師、西本願寺御門跡連枝、代々寺職し給ふ。(後略)(河内名所圖會)
 17世紀初頭、本願寺の東西分裂に端を発して一部の住人は久宝寺寺内町を出て、大和川(現在の長瀬川)の対岸、八尾の荒地を開墾し、八尾御坊(現・大信寺)を中心に八尾寺内町を作ったといわれる。地図上でも現地でもここ久宝寺寺内町のほうが明確に寺内町の痕跡を残している。ただ街としては対岸・八尾のほうに中心が移っているのは否定できない。因みに八尾は若江郡だが久宝寺は澁川郡である。

許麻こま神社社頭の菊花。ブログにも書いたが七五三で各神社さん商売ショーバイ。紅白の茅の輪がそこここに見られた。

許麻神社摂社・厳島神社。ご本社の北に南面し、池の中に鎮座するのが地図上にはっきり示されている。

場所は顕証寺の西南角に程近く、ゆったりとした境内が心地よい。

今日のコース、詳しくは→こちらをご参照ありたい。

今日の総歩数 19,783歩    ̄|△| ̄   ルートマップ省略