29年ぶりの出石蕎麦  2011年10月27日

♣ 新宮3校同窓会バス旅行“城下町出石とコウノトリの郷めぐり” ♣

  

旧制中学校と高等女学校といったら最若年者でも我々より8つがとこ高齢。何々、3校合同といっても新制高校卒が殆どだろう、、、。その予想は集合時点で脆くも潰え去った(笑)。4割が旧制中卒。お話していても年齢が全くわからない。悲喜こもごも?の同窓会(初参加)バスツアーでありました。

まず出石いずし。お城跡を訪れました。

出石のシンボル・辰鼓楼しんころう。明治4年にできた時計台。
通りの突き当たりにお城の櫓が見える。背後の山は山城のあった有子山(321m)。

登城橋河川公園。向こうの赤い橋が稲荷神社神橋。(撮影地点は登城橋)

神橋から登る稲荷神社参道。157の石段の途中37の鳥居。この途中でリタイヤした方も。

二の丸・本丸の上が稲荷くるわ。有子山稲荷が鎮座する。

稲荷郭から出石の市街地俯瞰。

稲荷郭にて。

1982年BS・T14団夏季キャンプ下見に宮津を訪れた帰途。ソバを賞味し、ここに登った。このリーダー達のうち2人は故人。今は昔。

街に戻り、お待ちかねの皿ソバです。

みやげ物店の屋根にコウノトリ飛来?と思いきや、作り物でした。

一同このお店に入って本日のメイン・皿そばを賞味しました。

皿そばは一人標準5皿。足らなかった人、お飲物にかまけて2〜3皿でストップした人、様々でした。
ㅤ江戸時代中期の宝永3年(1706年)信濃国上田藩より但馬国出石藩に国替えとなった仙石政明が、蕎麦(信州そば)職人を連れてきたことに始まるとされる。(Wikipediaより)

午餐後、有志で東の山裾にある禅寺・宗鏡寺すきょうじを訪れました。

宗鏡寺参道と山門。(右側も禅寺・願成寺)

沢庵和尚の墓

本堂。元和2年(1616)に沢庵和尚が再興したことから沢庵寺とも呼ばれ、代々出石城主の菩提寺として崇拝を受けた。とパンフレットに書いてました。

開山堂。当寺で一番古い建物だという。

鐘楼。いろんな思いを込めて一つ撞かせていただきました。

バスへ戻る途中再び辰鼓楼。光線が変わると印象も変わる。

近くに「桂小五郎潜居の地」碑。元治元年(1864)禁門の変で長州藩は京を追われ、桂小五郎は出石で9ヵ月潜居生活を送った。7ヵ所潜居跡が残るそのうちの一。

出石から北へ十余キロ。兵庫県立コウノトリの郷公園へ向う。いずれも豊岡市内。

豊岡市立コウノトリ文化館。いろんな展示があり、真正面に公開ケージがあってコウノトリの生態に触れることが出来る。

文化館内のコウノトリの剥製展示。

餌を漁るコウノトリ。個体識別用の足環がはまっている。

オープンケージ網の上と傍の樹上に計2羽アオサギがとまってました。餌をねらっていたのでしょう。給餌がはじまると湿地に降り立ち、コウノトリに混じって餌を啄ばんでいました。コウノトリも特に弾き出すような行動はせず、それなりに共存状態が保たれているようだという係員の説明でした。園内には次の碑がたっていました。

ほろびゆくものは
みなうつくしい
しかし
ほろびさせまいとするねがいは
もっとうつくしい

(滅び行くものはみな 美しい しかし滅びさせまいとする願いは もっと美しい 阪本 勝)

午後6時半過ぎ、一同33名は無事大阪駅西口に帰着。トラブルもなく秋晴れのもとで快適なバスツアーでした。これみなNKさんはじめ幹事さんの気配りの賜物。深謝です。

今日の総歩数 13,960歩    ̄|△| ̄   ルートマップは省略

応接室にNKさんご来駕
 

コウノトリの郷公園にて

 

新宮3校関西同窓会参加者一同(出石辰鼓楼前)