高山城は多蚊山城でした  2011年9月10日

♣ AZハイキング第124回例会“高山竹林園散策” ♣

快晴。しかも蒸し暑い。近鉄富雄駅東改札口に集まったメンバーは口々に“暑さが戻りましたね”。10時奈良交通バス傍示ほうじ行きに乗車。30分で庄田着。運賃500円。ここ高山庄田の在は生駒市ながら近鉄富雄駅よりむしろ学研都市線河内森駅や京阪私市駅に近いのだ。

庄田は高山の更に一息北に位置する集落。打ち棄てられたかのような愛宕燈籠。

道はカンカン照りの中をのぼってゆく。この辺は海抜およそ170m〜180m。

左へ少し入るとそこは高山城のあった小山。倒木処理・草刈のボランティアさんに殺虫剤スプレーを借りてのぼりにかかる。

北から左に巻いて山道を行く。あちこちに削平された建物跡らしきものが見られる。

最後の階段で薮蚊の大歓迎を受けた。立ち止まりは自殺行為に等しい。

やっと頂上。目の前に大きな石塔。ここで標高約220m。

高山城跡
ㅤ高山は、南都、河内、山城の「三国境」として、古代からさまざまな文化の交流が盛んに行われてきました。
 中世には興福寺一乗院領の荘園となり、「鷹山庄たかやまのしょう」と称されます。この地を治めていたのが「鷹山氏」で南都を中心に活躍しました。江戸時代に東大寺の大仏を再興した「公慶上人こうけいしょうにん」は鷹山氏の出身です。
 この城は、尾根の頂上に主郭があり、その東側から南西側に郭を配置して守りを固めています。
 高山町は鷹山家が考案したと伝えられる茶筌の里として知られており、公慶上人ゆかりの法楽寺や圓楽寺、本殿が重要文化財の高山八幡宮などがあります。
 歴史豊かな地「高山」を今に伝える貴重な文化財です。
平成十八年三月

生駒市教育委員会(説明板より)

    

高山城跡に立つ十三重の石塔。「大正乙卯/大典記念」とあるので、大正4年大正天皇即位御大典に際して建てられたものらしい。塔の上2層が45度回転していてしかも心持ち前に傾いで、至極不安定。

向かって左には「九頭神」の祠。ここの麓に「九頭神公民館」があるのでこの辺の在所名にもなっているらしい。九頭神とは「九頭竜神」で水・雨の神。

右側は立派な石鳥居があるが、奥の土盛がわからない。右の石碑はLCからウン十万円の寄付記念と個人からの土地寄贈記念。

Sample Sample

*ウスタビガ(薄手火蛾)の繭。

*ヤナギラン(柳蘭)。

急遽行き先を変更してハイキングのメッカ・くろんど池へ向かう。約1名の弁当無し救済が叶ってホントようござんした。

これまた一幅の名画なり ・・・とは誰も言ってくれないので、これを自画自賛という。黒添くろんど池にて。

Sample

高山竹林園入口。広大な敷地にいろんな竹のオンパレード。資料館には茶筌(生駒市ではこれが正式。茶筅とも書く)、茶道具、編み針についての資料展示。そしてお茶の接待にも与れる。

と、書いたが、われらがメンバーはその奥床しいところを発揮して各自で点てておられた。onmouseはわれらがK大人。われらが家元。

竹林園アプローチ(Wikipediaからpublic domain版を拝借しました。感謝)

そして富雄行きバスに打ち乗って朝と逆コースを引き返す。富山さんご推奨のお店目指し、腹ごなしもあって富雄駅から学園前駅までを歩く。背に昼過ぎの陽射しをタップリ浴びて、S木さんなどは皆を放っておいてドンドン先へ。「速すぎるョ、チョット待て」がかかり「泡の出る液体が目の前にちらついて・・・」と言ったとか言わなかったとか。とりあえず事故もなく歩き通せて結構でした。お疲れ様。

応接室にK大人来訪 *示唆多謝
 

高山城跡のギンリョウソウ (銀龍草)

 

城跡登山者のみの記念写真

 

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行程表及び参加者

今日の総歩数 16,096歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら