長野坐須佐之男命神社  2010年12月6日

♣ 独行“北摂の式内社−17(番外2)−” ♣

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野暮用でJR茨木駅近くに出向くことになる。帰途天気はいいし、バスはなかなか来ないし、歩こうか、と。宇野辺バス停までバスに、との目論見も外れ、モロに全部歩くことになる。茨木道(乃公が名付けた)は府道14号線沿い、いや逆か、この道沿いに14号線が走っている。JRの線路のなかに一部紛れ込んでしまった旧道はそれでもかすかに古い時代の名残をとどめていた。そのうちの一つ、長野に坐す須佐之男命神社を訪れた。

長野に坐す須佐之男命神社拝殿。 社頭の由緒書にはこう記す。
須佐之男命神社 摂津市千里丘三丁目十五番十五号鎮座 本社御祭神 須佐之男命 天児屋根命 事代主命 境内社御祭神 八王子神社 天照大御神御子五男神/須佐之男命御子三女神 八幡神社 應神天皇 当神社の創建時期は不詳乍ら古文書によると聖武天皇の天平年間(七二九年〜七四九年)に僧行基が諸国行脚の途中で味舌上村に金剛院(真言宗)を建立し寺の鎮守神として「牛頭天王」を祀ったのが起源と考えられ江戸期の寛永年間(三代将軍家光の時)に山田村長野の樫切山にあった「三社の宮」の御祭神を合祀してからも長期にわたって祭祀されて来たのであります 明治五年神佛分離令の実施により社名も「須佐之男命神社」と改め社格「村社」に指定されました(社格は現在廃止) 一方社格指定のない無格社の整理統合が進められた結果坪井の八幡社と道祖神祀・庄屋の春日神祀・正音寺の柚の木八幡社・中内の藤の木八幡社が当神社に合祀されて現在に至っております
 平成十三年七月吉日    御社殿修復委員会』

途中の点景@ 宇野辺・光福寺の上方児童遊園の片隅にひっそり、というには物々しい網をかぶせられているのはお稲荷さん。左隣の小振りなのは地蔵堂。

途中の点景A 千里丘の一角。向こうの巨大マンションがなければ趣のある田舎道の風情。

府道14号線から北・一の鳥居の奥に二の鳥居。この参道はさらに撮影者背後の14号線より南南東に約200m伸びている。(下の地図参照)

二の鳥居、そして須佐之男さんが鎮座する。

長〜〜ァい須佐之男命神社の参道。(click拡大)

山田川を渡ったところに真宗本願寺派の寺院・安楽寺。山田隣接地でなおかつ同じ宗派の寺院があることがすごい。(山田と合せるとこの狭い地域になんと7ヶ寺。 (ここ参照

今日の総歩数 (不明)    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら

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