岡田神社はKCの懐に  2010年11月19日

♣ “北摂の式内社を訪ねて−16(一応完)−” ♣

ㅤ前回の報告を書いたら我らがマエストロ・T氏から“「岡田神社」というのは「岡田山神社」と呼んでいる神戸女学院の中の神社のことだと思う。あの神社の敷地だけは神戸女学院に属さず廣田神社の分社。廣田神社から掃除等のため年に何度か来る”旨のメールを頂いた。記して感謝である。(同氏は最近まで女学院に職を奉じておられた)これで最後の踏ん切りがつき、今日Y子さんと締めの訪問とは相成った次第。(ちなみにKCとは神戸女学院の略称)
ㅤ・・・それにしても相国寺=同志社といい、われわれの先人は様々な困難を克服してきたことが窺える。

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ㅤ神戸女学院デフォレスト記念館前の緑地帯にある岡田神社。女学院がこの地をキャンパスと定めた1933年よりはるか以前から鎮座するという。

ㅤ攝津名所圖會に 岡太神社(をかたのじんじゃ) 門戸村にあり。〔延喜式〕に出づ。此地の生土神とす。〔攝津志〕に小松村の押照宮とするは謬なり。」 とあるのを今あらためて確認。門戸村といえばここ岡田山は門戸ではないのか。阪急門戸厄神駅から歩いてきたではないか。とすると先日の阪神武庫川駅北の小松南町に鎮座する岡太神社はどうなるのか。−−−これは攝津名所圖會の著者が自説を述べたにとどまるとしても、圖會発行の時代に攝津志のように小松村のお社を推す説も一方にあったことを示している。『小松村の押照宮とするは謬なり』と断定できた何らかの理由があったのか、それを今確認するすべはない。

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ㅤ社地はせいぜい十数メートル四方。鳥居も扁額も社号標柱も、つまりお社を特定するものは何もない。唯一つ漢字を確認したのは社殿前に置かれた箱の「賽銭」のみ。

ㅤ年に何度か廣田神社から清掃管理に来るという。女学院と神社の間にあの戦争時期をはさんでいろいろあったであろうことは想像に難くない。

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高座たかくら町新池にはアオサギ、コサギ、キンクロハジロ、カルガモなどカモ類が来ていました。寒さでこれからぼつぼつ増えてくるのでしょう。この池は紅黄葉もいいですが、春の桜がなかなかのものらしいです。バックに甲山。

ㅤ女学院西門から愛宕山を越えて新池、廣田神社、塞神社、ニテコ池、名次神社と、途中から過日のコースを逆になぞって今日の目的地・夙川へ。

今日の総歩数 13,653歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら


ㅤさては、北摂の式内社を“意識して”巡り始めてはや7ヵ月。曲がりなりにも満願なので一覧表を前回紹介したが、改めて写真入の一表にしようと試みた。それが下記。どうぞ“物好きな”とお笑い下されい。

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阿久刀神社

野身神社(上宮天満宮境内)

野見神社

神服神社

新屋坐天照御魂神社(福井)

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新屋坐天照御魂神社(宿久庄)

新屋坐天照御魂神社(西河原)

天石門別神社(茨木神社)

須久久神社

春日神社

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阿爲神社

井於神社

走落神社

佐和良義神社

幣久良神社(阿爲神社に合祀)

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牟禮神社

三島鴨神社

鴨神社(高槻)

伊射奈岐神社(山田)

伊射奈岐神社(佐井寺)

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溝咋神社

太田神社

爲那都比古神社

細川神社

垂水神社

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阿比太神社

伊佐具神社

賣布神社

鴨神社(川西)

伊居太神社(秦上社)

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伊居太神社(尼崎)

多田神社

小戸神社

賣布神社

廣田神社

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名次神社

伊和志豆神社

伊和志豆神社(廣田神社境内摂社)

岡太神社

岡田神社((廣田神社境外摂社)・岡田山)

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河内国魂神社

大国主西神社(西宮神社境内末社)

越木岩神社

保久良神社

生田神社

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長田神社

敏馬神社

有間神社

公智神社

湯泉神社

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岐尼神社

久佐々神社

野間神社

 

 

色分けは旧郡名順=嶋上郡嶋下郡豊嶋郡河邊郡武庫郡菟原郡八部郡有馬郡能勢郡