伊賀上野は金木犀の香り  2010年10月7日

♣ Glee34歩こう会“伊賀上野市内散策” ♣

僚友・坪井君を相国寺に見送り、偲ぶ会も無事に終えて、秋晴れの伊賀路を歩こうという高森君の計画と、同志社の後輩女性ゴルファーがプロ合格したのでささやかな歌によるお祝いをというM橋君の提案がドッキングして今回の1泊旅行が実現しました。本来なら2日目に2グループ別行動になることについてM橋君が懸念していたがナニナニ、伊賀上野の名所めぐり及び一所で心を合わせて歌声をプレゼントすることがメインと考え、2日目はお添えものと考えればいいのです。とまれ両君の事前・当日の労を多とし、感謝、感謝です。
ㅤまず、初日は伊賀上野城とそのまわりの史跡を訪い、夕刻多羅尾カントリーのクラブハウスでミニコンサートをして祝宴というプログラムは無事に、笑いと適度な緊張のうちに無事打ち上げることができました。最下段の写真に添えて“乾杯!”。

快晴の伊賀路に映える白亜の天守閣。

11時前JR関西本(!)線伊賀上野駅に着きました。先着のY岡君を交え8名がM橋・藤原両君の車に分乗して城址へ。

まず「伊賀流忍者博物館」へ。大枚七百円也を投じ(約3名は弐百円也を実演観覧のために追加し)て伊賀の国に入ったことを実感する。

伊賀上野は芭蕉の生まれ育ったところ。生誕300年記念に建てられたこの俳聖殿は芭蕉の旅姿を模した特異な姿をしている。70年近く経過しているというがこの清々しさはどうだ。

筒井古城跡の紅葉。

“建物はともかく”と注釈つきで言われる上野城だが、内部は木造。

天主閣から南望。伊賀上野はお城の南に町並みが広がっている。

大阪城の石垣に比しても遜色のない「高石垣」は一時日本一といわれたこともあるとか。高さ約30m。

クラシックな校舎と門柱は県立上野高校。旧制上野中学校の名残を色濃くとどめる。

旧崇廣堂。19世紀に藩士の子弟を教育するため建てられたものという。簡素なつくりだが当時は2倍の大きさがあったとか。

というところで時刻は昼。程近い田楽座・わかやの二階に上がって賞味。味噌がおいしく16串をご飯つきで完食した。

食後は西へ。すぐ坂を下り伊賀鉄道の鉄橋をくぐるとそこは鍵屋の辻。日本三大仇討ちの一つ、荒木又右衛門の36人斬りで有名だが、実際は2人だったという。広い四辻の一角に木々が茂り茶屋が昔を偲ばせる。

鍵屋の辻を戻ったところで見かけた風景。タイトルについて云えば、今回は時期遅れのヒガンバナとそしてキンモクセイが眼から鼻から飛び込んでくる旅でありました。両者は初秋を感じさせてくれる告げ人なのでしょうか。

外堀跡という25号線は新旧いろいろの学校や市役所などが並んで東西に走る上野のメインストリート。その東端に近くかの俳聖・松尾芭蕉の生家がありました。

生家の裏庭に建つ釣月軒。ここは書斎として使われ、『貝おほひ』を執筆した場所だという。

芭蕉生家裏庭に咲くススキ。♪ はせを翁に想いめぐらせ秋の空 ♪。

ということで伊賀上野城下町巡りを終えて今日の宿・信楽温泉 多羅尾乃湯ホテルレイクヴィラに向かいました。ここはゴルフ場 タラオカントリーの中にあり、36ホールのコースの自然に囲まれた桃源郷です。標高650mで冬場クローズになることも多いとのことですが、夏場の涼しさはこたえられないといいます。

Sample

クラブハウスから見たコース。信楽連山を背に、イメージは“広大”。

本日のメインターゲットの一つがこの掲示(慶事)にありました。読める方はどうかお読み下さい。

早速34会精鋭の練習。今日は都合でベースが堀君一人になり、指揮者が駆けずり回る羽目と相成りました。が、この笑顔はどうジャ。

Yア君のカメラで撮って頂いた11名の“名演”・“快唱”ぶり。何がキレイかって、背景に勝るものはなし(笑)。Yア君に「謝々」。

そしてミニコンサートを恙なく打ち上げ、主賓を真ん中に招じ入れて乾杯。
本日はかくして無事に暮れてゆきました。

暮れ行く多羅尾の空。

今日の総歩数 8,722歩    ̄|△| ̄   概念図     ルートマップ