“佐奈を制作する技能集団の部のやしろ”  2010年8月31日

♣ 独行“北摂の式内社−番外1−” ♣


サブタイトルに『北摂の式内社』と謳ったものの、どうもこれは式内社ではなさそうだ。延喜式神名帳を精査したわけではないので確言出来ないが、web上では小一時間検索を掛けても関連を示す記述に出逢わない。あまつさえ攝津名所圖會・嶋下(嶋上)郡にも記載が見当たらない。
 佐奈部という字面につられて訪れたのだが。webでは「さな(農具の一種)をつくる集団か」という記載があり、「○○部」という“部(べ)の民”を示す固有名詞が地名・神名・人名にあるのは起源を飛鳥・奈良時代に遡るのだろうと思う。
 あー、、それにしても くそ暑い数時間ではありました。

元茨木川緑地遊歩道にはここに川が流れていたときの遺跡が点在する。これはその一つ。横に茨木高校が見える場所にあった「宮田の樋跡」碑。ネットによれば21の碑のうち9つが樋跡という。これは上流から数えて4つ目。

ここは緑地遊歩道が阪急京都線をくぐる場所、新庄橋跡。橋跡の碑は前記によれば11あり、これは上流から数えて5つ目。緑地から出ると目も眩まんばかりの暑さ。15時過ぎだ。

新庄町ガードから東へ数百mで目的の佐奈部神社に到着。神社前を東西に走る三島江茨木線(府道138号線)を隔てて南にこの燈篭があり、南にさらに参道が延びている。暑いので足を伸ばさなかったが、参道の始まる水尾の在に一の鳥居があるそうな。

境内の二の鳥居。扁額に「佐奈部神社」。そばに聳える楠の巨木数本は市の指定保護樹木。境内は広い。思うに今市内真っ只中だが、わずか数十年前在籍した会社の寮が水尾にあったとき、周囲に田畑の多かったことを思い出す。その名残がこの境内にまだ残っているのだ。

佐奈部神社拝殿。裏に回ったが本殿は昔日の面影(乃公の思い込み?それらしいお社造りの屋根など)が全く見当たらずがっかり。三の鳥居の手前中央に一基の燈篭がお参りを邪魔するが如く居座る。これって珍しくないかい?

ただ、境内に社務所兼用(らしい)の佐奈部農業資料館があり、「佐奈部とは佐奈(千歯という農具)を制作する技能集団の部」という某サイトの記述を頷かせるものだった。

それはさておき、暑いのに辟易した乃公は阪急茨木駅からバスのお世話になり、JR茨木駅前でほてった身体と胃袋を冷やして、夕刻帰宅したことであった。

今日の総歩数 (不明)    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら