細川さん、行き損ねたよ  2010年5月25日

♣ 独行“北摂の式内社を訪ねて−4−” ♣

タイトルの説明は後回しにします。。。。。蒸し暑い日。それでも先日小戸神社がルート上にあったのに失念して抜かしたのが癪で、今日はそこから三つほど回ろうと、まず川西能勢口駅に降り立った。相変わらずの悪い癖で、地図を忘れた。たしか阪急線より北だった、問題は能勢電より山側だったか、川側だったか判然としない。ままよ、とばかり山側を歩き出す。ややあって広い道路が電車高架の下を抜けるあたりで、東方に木立が見える。乃公の専売特許(?)“鎮守の森を目指せ”からすれば、反対側であってもあそこに行くべきである、そう「勘」の神様が囁いている。せいぜい300m。歩を進めると、案の定というべきか、行き当たった、小戸神社。

 小戸神社(おおべじんじゃ)。川西市小戸1丁目に坐す。このあたりの神社は山際が多いのにそうではなくて、むしろ猪名川の氾濫原ともいうべきところにある(対岸の呉服神社も同様)。もっと山のほうにあったという口伝もあるそうな。社殿が新しいせいもあるが実に清々しい。古さびたという形容詞は何とも似合わない。小戸神社(をべのじんじゃ) 小戸村にあり。〔延喜式〕に出づ。小戸・榮根・小花等の生土神なり。土人小部天神と称す。(攝津名所圖會)

拝殿

本殿。覆いかぶさるように周りを取り囲んで立つ樟の巨樹がこの新しさ、ケバさを和らげている。

さあ、次は多太神社。能勢電の次の駅目指して急ぐ。危惧したとおり絹延橋駅近くで下り電車の音が聞こえ、駅傍の踏切では目前を通過。遮断機が上がったところで改札を抜け、ワンマンカーの運転手の気遣いもあって辛うじて乗車。10分ごとに来るので急ぐこともなかったと知ったのは後刻。。。。。能勢電で好きなもの。それは駅名だ。「絹延橋」「滝山」「鼓が滝」「鶯の森」「多田」「平野」、、、。後者二つは古い地名だがあとは風雅な名前で思わず和んでしまう。。。。。平野を降りて跨線橋から南望すると西南の尾根の端に鎮守の森らしい木立。「あれだ」。4車線のデカイ道路を車がひっきりなしに行き交うのを尻目に山際の静かな旧道を歩き出す。ややあって多太神社。

山際にあるとそうでないのとでこれほど違うものか。ま、ひと山越えたといえばその通りなのだが。能勢道が平野から一の鳥居方面へ上り坂になる中腹に位置する。平野(ひらの)の平野(へいや)を一望する支尾根の上。境内には子供連れの若い母親が二人であとは至極静かなもの。多太神社(たゞのじんじゃ) 多田荘平野村にあり。〔延喜式〕に出づ。近隣四箇村の生土神とす。例祭九月二十九日。京師平野明神の勧請なり。満仲公社殿を修補し給ふ。又今多田と書改めしは、九頭大蛇亡びて後、さしも上古より涸るゝ事なかりし池水、忽丘となりければ、こゝに城を築き給ひ、池水四方へ流散りて、多く山田の助となりたるゆゑ、多太を改めて多田荘とぞ書きたりける。(攝津名所圖會)

長らく平野明神と呼ばれていたといわれるが、18世紀に入って調査の結果この社号標石が建てられたという。

覆屋に護られた本殿。

多太神社拝殿全景。

【参考:川西市多田院多田所町所在の多田神社について】 乃公はつい最近まで多田院が式内社とばかり思っていた。
鷹尾山法華三昧寺多田院(たかおさんほっけさんまいじたゞのいん) 多田荘内にあり。眞言宗。南都西大寺より転住。(中略)本殿多田権現。祭神五座。中央源満仲公。(中略)夫(それ)多田院は源満仲公の霊廟なり。円融院帝御宇天禄元年の創建にして、源賢僧都こゝに寺職し給ふ。(後略) (攝津名所圖會)

ということで、あとは伏尾手前の吉田の在にあるという細川神社をめざしてひたすら歩く。途中の山際は住宅開発で道がはっきりしない。得てして新興住宅内の道は行き止まりが多い。行っては戻り行っては戻りしているうちに、いつしか空が暗くなる。午後降水確率40%という予報を思い出す。これは降られたら辛いなア。と言ううちに気のせいか一粒頬っぺたに来た(ような気がした)。さあ、伏尾街道向けて必死に下る。チラッと左手山の狭間に鎮守の森らしいのがあったので通りがかりの近在の方に聞いたら案の定、「あの森が細川神社です」。僅々数百m。でも涙を呑んでバス停に向かう。東山バス停から阪急池田駅までバスの人となってふと気がつくと黒い雲はどこかへ行ってしまったではないか!!!
ㅤということで、冒頭のタイトルは行き損ねた細川神社への餞の言葉であった。

細川神社

神奈備サイトから借用しました。記して感謝。

今日の総歩数 19,817歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら