天石門別牟禮溝咋佐和良義ああしんど  2010年5月4日

♣ 独行“北摂の式内社を訪ねて−2−” ♣

4月25日高槻から茨木の山沿いを歩いた第一弾に引き続き、第二弾としてJR茨木を起点とし、阪急茨木を抜けて淀川寄りを歩きました。最高気温30℃に達しようかという夏日、汗を拭き拭き2万5千歩を行軍したのでありました。
ㅤそれにしてもこの歌のふさわしい季節だなとつくづく思いました。

♪あざやかなみどりよ あかるいみどりよ/鳥居をつつみ わら家をかくし/かおる かおる 若葉がかおる
さわやかなみどりよ ゆたかなみどりよ/田はたをうずめ 野山をおおい/そよぐ そよぐ 若葉がそよぐ♪

茨木童子像。
旧茨木川にかかる“高橋”欄干にこの愛すべき童子像は立つ。あの酒呑童子の子分だったの、人々を困らせるキャラクターで実家(茨木説あり)に戻っても追い出されたの、いろんな話が語り継がれているそうな。
後ろの木立は茨木神社参道

茨木神社拝殿。ちょうど結婚式が終わったばかりで、記念写真を撮る人たちでごった返していた。拝殿には嬰児を抱いたおばあちゃんその他が昇殿していたから、多分百か日のお宮参りだったのだろう。攝津名所圖會に曰く 茨木神社(いばらきのやしろ)ㅤ同所(茨木座:編者注)にあり。祭神中央素盞烏尊、左春日明神、右八幡宮。茨木庄内上中條・下中條の生土神とす。例祭九月十日。因に云ふ、・・・(以下→ここ参照)

天石門別あめのいわとわけ神社。茨木神社の真後ろ(ホント)にあって見過ごされ勝ち。建物は至極新しいが、鰹木二本を載せた大鳥造の力強いたたずまいだ。 天石門別神社(あまのいはとわけのじんしゃ) 茨木座にあり。〔延喜式〕に出づ。此地の地主神とす。祭神豊磐間戸命。(攝津名所圖會)(赤字2020年最終修正)

牟禮むれ神社。安威川堤防に沿う微高地にあるが、なんと静かなこと

牟禮神社拝殿。写真を撮っている間にも二、三人お参りしていた。ウォーキング、ジョギングがてらなのだろう。 牟禮神社(むれのじんじゃ) 中村にあり。〔延喜式〕に出づ。牟禮・中村等の生土神なり。(攝津名所圖會)

Sample

安威川堤防から遠く阿武山を望む。といっても春霞でこのサイズでは見え辛いだろうな。ほぼ中央奥なのです。

溝咋山浄福寺。このあたり(五十鈴町)にくると高いビルが少なくなることもあって、寺社探しには専ら“鎮守の森”的な木立ちが格好の標的となる。溝咋神社を探してまず目に入ったのがこのお寺

溝咋みぞくい神社。上記浄福寺から南へさらに幾許か。木立ちが見えてから参道入口までしばらく時間がかかった。百メートルを超える立派な並木の参道が続く。

溝咋神社本殿。溝咋神社(みぞくひのじんしゃ) 溝杭荘馬場村にあり。〔延喜式〕に出づ。目垣村・十一村・二階堂村等三村の生土神とす。[日本紀]に曰く、事代主神三島溝咋耳神之女玉櫛媛所生児。號蹈鞴五十鈴媛命。是國色之秀者。神武天皇悦之。九月壬午朔己巳納蹈鞴五十鈴媛命以爲正妃。(攝津名所圖會)

溝咋神社の小さな池にキショウブ、その奥にツツジが咲く。ちょうど12時過ぎで昼弁当を使いながらしばしの休憩。

野々宮に坐す天満宮。ただしそばに「乙神社」の石柱が建っている。攝津名所圖會に 野宮 島村の属邑野宮村にあり。[江家次第]に云ふ。難波三所野宮の其一なり。」とあるのに該当するか?

葦分あしわけ神社。延々40分がとこ車道を歩き、貨物線をくぐってしばらくゆくと木立が。あれだ、とばかり目指すと案の定。

葦分神社本殿。茨木市内、特に鉄道線より南側は条里に沿って道があり、鉄道や新しいバイパスがそれを無視した方向に走っている。わかりやすそうでいて頭が混乱すること夥しい

佐和良義さわらぎ神社一の鳥居。旧茨木川堤防に位置し、今や市民のジョギングコースなど憩いの場所となっている

佐和良義神社拝殿。
佐和良義神社(さわらぎのじんじゃ) 西澤良木村にあり。〔延喜式〕に出づ。此所三村の生土神とす。(攝津名所圖會)

なんと、佐和良義神社裏に南無妙法蓮華経を刻んだ碑が安置されていた。これって何だろう。

旧茨木川緑地。まず南茨木駅南西の井於神社を割愛し、ここを歩いて阪急茨木駅へ。目指すは佐奈部神社。ところがこれも見つからない。非常に大雑把な概念図しか持たなかったしっぺ返しを食らった。

結局それも諦めて阪急茨木からバスでJR茨木経由帰宅。
★次への課題 : しっかりした地図を用意すること。未踏査先を調べて経済的なルートを予め設定しておくこと。

今日の総歩数 不明(多分25千歩ほどか?)    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら