水無瀬神宮から高槻へ  2009年11月21日

♣ 独行 ♣

かねてから阪急で通るたびにこのお社の杜が気になっていた。そこへ「神と仏の道を歩く」で150社寺がリストアップされて、“ここまだ行ってない”というところが意識に上るようになった。いや、ここだけではないのだが、今回は高槻のIK邸への用があり、ついでで甚だ申し訳ないがお詣りし、これこそついでに西国街道を歩いてIK邸に参集、と、まずはこう相成ったわけである。(ところが横着すると良いことがない。約束の時間にシッカリ遅刻してしまった)

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拝殿左脇にある客殿(国指定重要文化財)。紅葉がきれいに彩りを添えていた。

JR島本駅。去年3月開業という新しい駅。正面出口前にあの桜井の駅跡があるので、『摂津桜井』になるのかと思っていた。

水無瀬神宮正面鳥居

お寺の山門みたいな神門。菊の紋章が皇室との関連を思わせる。明治までは神仏混淆だったという

拝殿。奥の本殿に後鳥羽上皇など流刑に遭った天皇・上皇三柱を祀る

名水「離宮の水」手水所

後鳥羽上皇ゆかりの「都忘れの菊」

待宵小侍従墓への分岐にある道標。「右柳谷/左西ノ宮そうじ寺」とある。裏面には「明暦三年」=1657年。振袖火事と呼ばれる大火事が江戸を焼き尽くした年だ

西国街道から水無瀬神宮への分かれ地点

再び桜井駅跡。英国公使パークスが顕彰文を書いた碑などがあるが、やはりここは「青葉茂れる桜井の」で有名な正成・正行父子の別れの銅像だろう。台座には「滅私奉公」とあった

上牧西方で街道がJRをくぐる地点。ちょうど各停列車が通過していった

上牧山手附近で山と鉄道に挟まれた地点

梶原地区にある一里塚跡。このお堂には「水あがり」と称する地蔵さんが祀られている

畑山神社。初見参。市内最古の寺・梶原寺跡があり、ここも神仏混淆であったという

檜尾ひお川橋の欄干。西国街道を行く大名行列がデザインされている

後半の写真がないのは、畑山神社あたりで“これは間に合わない”と気付いたからだ。ジャケットの下にセーターを着込んだのが災いし、汗だく。旧街道とは名ばかりで車の多いこと。檜尾橋以降はカメラをザックに仕舞ってひたすら歩くことに専念。水無瀬神宮を出てからIK邸まで1時間40分を要した。ほぼJR沿いの一本道で、ものの本によれば島本−高槻間は5.3kmあってJR京都線では駅間距離が一番長いという。あ〜あ。

今日の総歩数 不明    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら

この日IK邸に参集したのは 先日の我々34卒50周年記念会の写真仕分けをするためだった。IKはじめST、MT、YY、YH、OTと乃公の7名。・・・闘病中で記念会にも参集できなかった坪井高國が天に召されたのがこの日だった。