六甲の歴史をつくった英国人  2008年7月24日

♣ 歴史ハイキング“六甲山上のノースロード” ♣

明治初年英人グルームらにより、禿山同然だった六甲に緑が戻り、ゴルフ場など今日見るリゾートとしての六甲の基礎が形作られたと伝える。その功績を讃える記念碑が明治末に建てられた。しかし太平洋戦争突入前後に破壊され、今は見ることができない。
 それでも六甲のあちこちに残るカタカナ名前はいまだ消えないで先人の功績を伝えている。曰く今日の North Road、Shrine Road、Diamond Point、そして Twenty Cross、Ice Road、Cascade Valley 等々枚挙に暇がない。  (画面上指さしマークの出る写真はclick=拡大)

山上駅構内のグルーム像(Arther Hesketh Groom, 1846−1918)

ケーブル乗車券。皆さん懸命に(65歳以上の)証明書を引っ張り出して買っていました

ネム(合歓)とフジフサウツギ(藤房空木)の花満開

ケーブル駅(標高約740m)から西方摩耶山遠望

ゴルフ場から堡塁口へショートカットしてしまった(※↓)

※ガイドマップに"ゴルフ場クラブハウスまで行ってから左折"と明記してあったのに間違えてしまった。原因は小休止したゴルフ場に妙齢?の女性を認めたことから始まる。独りでラウンドしているものだからそうでなくても世話焼きのおじさんたちが相手になって即興集団漫才に興じた。このあとコースを誤ったということは、もしかしてこの女性と見えたのは狐狸の類ではなかったのだろうか?そのわけは、一つにコース誤認、もう一つは乃公がここで一枚も写真を撮っていないことである。嗚呼。(呵呵)

アジサイ1.

記念碑台のグルーム像

記念碑台の四等三角点標識(標高796m)

記念碑台の名の起こりである「六甲開祖之碑」。
明治45年に建てられたが昭和15年(一説には17年)に破壊されたという。

アジサイ2.

ノースロードを往く

ポイントから谷上方面を望む

ダイヤモンドポイントでご満悦の乃公

北向きだがここにも“雲は湧き 光溢れ”る。ダイアモンドポイントの標高は約740m

グルームの別荘のあった三国池。(「百一番」の石碑は見当たらなかった)

六甲山ホテル前から東方・大阪湾の向うに 左から二上山、葛城山、水越峠そして金剛山を望む
(clickで山々がアップ)

六甲山ホテル(標高は→こちら)で黄色い液体またはブラウンの液体を賞味し、ホテルのシャトルバスの人となって下山。 今日の総歩数は17,082歩