柴島(くにじま)へ・柴島から  2006年3月9日

♣ あるセンチメンタルウォーキング ♣

もう何十年も柴島に足を踏み入れたことがない。阪急吹田から延々淀川べりまで歩いて柴島の地に久闊を叙した。

この地にF薬品から譲り受けた“こうば工 場”をおいた会社“H社”。妙なご縁でお世話になって32年間共にあった。。いろいろ変遷があって気がついたらこの“こうば”はなくなり低層マンション群と化している。
ㅤ小分け台での筆記試験。同じ場所でのお手伝い。仕事明けに銭湯(下記)で一浴びして帰宅したこと。屋根裏部屋に寝泊りしていた独身者。組合との徹夜交渉。大パニック中のGMP対応工場への変身。いろんな記憶はすべて過去のものとなった。

このあと大阪市史跡ハイキング「淀川・江口コース」を参考に中島惣社・崇禅寺・須賀神社跡を巡り阪急吹田へ帰り着いた。

氏神・柴島神社。14世紀鎮座。20世紀初頭淀川大改修工事で河川敷と変じたのでこの地に移ったという。

柴島神社本殿。柴島にはこのほか戦国の世「柴島城」があったと伝える。(P-B)

境内の梅

おふろやさん。お世話になりました。(P-B)

四ツ辻。この奥右手一帯がそれであった。いまや見る影もなく、場所の同定すら困難(P-B)

法華寺。8世紀聖武天皇発願の摂津国分尼寺が置かれた地と伝える。(P-B)以上4枚原因不明のピンボケにより小サイズ掲載

柴島駅から浄水場を崇禅寺駅へ抜ける。
ㅤ中島惣社。7世紀中葉長柄豊碕宮遷都のとき創建と伝える。

凌雲山崇禅寺(そうぜんじ(本堂。寺伝は聖徳太子に遡るが、15世紀中葉中島惣社の敷地を寄進されて今に至るという。

摂津県庁跡の碑。崇禅寺門前にある。明治初年大阪府を分けで摂津県とし、数ヵ月で豊崎県と名称変更。その後すぐ兵庫県に編入されるなど有為転変を繰り返したという。

須賀神社跡の大樟。樹齢600年と推定されるこの樹は大阪府指定天然記念物。

須賀神社跡を示す石碑。ちなみに須賀は地名起源説では「洲処(=砂洲)」で河川合流点の謂いという。

神崎川堤防。どこかのボート(エイト)が二艘練習していた。
もう延々歩くのみ。気がついたら右足裏にしっかりマメができていたヨ。