物部氏の跡を辿る  2002年2月20日

♣ 万葉を歩く“中河内を根拠地とした物部氏の滅亡” ♣

街中歩きながら結構面白いコースだった。

JR久宝寺→跡部神社→太川神社→勝軍寺(太子堂)→物部守屋墳→渋川神社→八尾駅=志紀駅→弓削神社(駅南西)→弓削神社(駅北東)→都留美島神社→玉串・恩地川→恩地

【物部守屋大連の墳】物部守屋は敏達朝・用明朝の大連。日本書紀には物部弓削守屋大連とみえる。仏教受容に積極的な蘇我馬子と対立し排仏を主張、寺院や仏像を焼き捨てたと伝えられる。用明天皇崩御後皇嗣問題をきっかけに馬子と戦さとなり物部氏は全滅した。

【跡部神社】物部氏降臨神話の長が跡部首。 『姓氏録』に阿刀連の名がある。この地の産土神。

【太川神社】素盞鳴尊と保食神を祀る。

【大聖勝軍寺】聖徳太子開基との伝承から下の太子、または太子堂とも呼ばれる。真言宗の寺。

【澁川神社】物部守屋の渋河の家の跡とも言われる古社。

【弓削神社】弓削1丁目在。弓削氏は物部氏の一族であり、その祖神を祀っている。

【弓削神社】東弓削1丁目在。かって左記弓削神社と当神社が旧大和川を挟むように鎮座し、大和川の水運を握っていたといわれる。