CCDOB・OGコーラスの萌芽

− メサイア合唱団目指して − 1965(昭和40)年

1965年初頭にCCDOBOGでコーラスをと言う声が上がった(らしい)。その証拠がこの通知はがき。マネジャー役は宮副と吉田。指揮はさえらのすし。4/11成安で初練習。4/18信用金庫ホールで「中田喜直/童謡集」(前年末CCDが定演で歌った)オンステ。引き続き四条のリプトンで発足パーティ。ここまで見てもその意気や壮とするに足る。(ようやるヨという声もあったやに聞く)

そして4月25日江戸堀のYMCAに集まったという訳である。詳細は分からないが、この日は適当な曲を練習し、メサイアの楽譜を手配してその練習に入ることを決めたものとみられる。後日配布。練習が始まった、のであろう。

この写真の撮影場所は筑前橋。YMCAの帰途ここを通って梅田まで歩いた記憶がある。地下鉄四つ橋線の西梅田−大国町間はこの年10月開業で、まだ走ってなかったし、淀屋橋まで歩いてという選択肢はなく、バスに乗った記憶もない。
ㅤどれが誰とはいわないが宮副、沢本、吉田、白水、清水、武川、それにさえらのすし(姓はいずれも当時のもの)。このほかに誰が参加していたのか記録がない上に記憶も全くない。

ちなみに後ろにみえる「總同盟」のビルはいま「JAM西日本会館」となって、ものづくり産業労働組合の本拠となっている。

このコーラスは1年も続かず消滅した。何故だったかも思い出せない。
(この項2018年1月作成)