梅花教会聖歌隊指揮者の任にあったさえらのすしが、原牧師の退任と時を同じくして1960年の春に職を辞した。多分そのころだったと思う。聖歌隊を指導してくれと招聘いただいた牧師令嬢・原恵子あたりが計画したのだと思うが、彼女がメンバーであったCCDの大阪方面在住メンバーに梅花教会聖歌隊の有志を加えて、大阪でモーツァルトのレクイエムを練習するコーラスを作りたい。と。 |
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そう、残っているのはこのオイレンブルク版のポケットスコアだけ。内扉に「1959」のメモがあるので、聖歌隊在任中にこのために求めたものだろう。小さな譜面にあちこち書き込みが残っている。因みにササヤでの買価141円とある。 |
このコーラスはLacrimosaまで練習したがそのあとが続かず、1年かそこらで消滅した。 |